地域から探す年齢にあわせて探す

投稿日時:2016/5/11

K.O様(40代)

現在、娘が生活団の5歳組に通っています。 私達家族が、入団までに考えたこと、そして入団後に感じている事をまとめてみようと思います。

まず父親である私自身が、中学・高校と自由学園の男子部に在学していました。ただ在学中は特に熱心な学生ではなく、どちらかと言えば先生方にご迷惑をお掛けしていた方です。同じ学内に幼児生活団がある事は知っていましたが、そこで具体的にどのような教育が行われているかは、全く知りませんでした。

改めて幼時生活団の教育について知ったのは、それから20年近くも経った後の事です。当時私たちは埼玉県の浦和のあたりに住んでおり、2歳を過ぎた下の娘の幼稚園を探していました。3歳から未就園児教室が始まるためです。インターネットで情報を調べ、近所の友人達にも話を聞きました。実際に近隣の幾つかの園に足を運び、見学もしました。こうして様々な情報を集める中で、たまたま候補の一つとして浮かび上がってきたのが生活団でした。

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4才組 こいのぼりを作る

商業的なキャラクターに一切頼らない、シンプルで健全な教育環境。そして美術・音楽など芸術教育の水準の高さは、地元の幼稚園では中々得られないものでした。また、家庭での学びを大切にして親子で教育の場を作っていくという理念も、自分達の考えに合っていました。

しかし一つ、大きな問題がありました。前述の通り、当時私たちは埼玉県に住んでいました。最寄り駅はJR京浜東北線の南浦和駅。生活団までは【JR武蔵野線→西武池袋線】を乗り継いで通うことになります。さらに我が家は駅から遠く、家族の一人が娘を送り、残った一人が駅まで車で送る事になります。家のドアを出てから生活団の門をくぐるまで、およそ1時間。朝夕の通勤時間帯には、かなりの混雑となる路線でもあり、また小さな子どもの体力で通えるのかと、夫婦で強い迷いもありました。

家族で色々な話を重ねましたが、最終的には「まず1年間、未就園児教室である”ことりぐみ”に通わせてみよう」ということになりました。子どもは体力面と園との相性を、親は仕事との両立が可能かどうかを、それぞれ検証するための時間です。

それから月に2回、電車を乗り継いで生活団に通う生活が始まりました。当初は見知らぬ場所に若干の戸惑いを見せていた娘も、音楽や美術のお遊戯に興味を示し、少しずつ慣れていきました。通い始めの頃は”ことりぐみ”から帰るとぐったりと疲れていたのが、少しずつ体力も付き、帰り道もしっかりと自分の足で歩けるようになってきました。

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5才組 ひまわりの種まき。腐葉土などを畑に入れる。

子どもと通う”ことりぐみ”での様子を通じて、夫婦ともに生活団の教育の素晴らしさは強く感じていましたが、一方で「毎日の通園」となると、未だに小さからぬ不安を抱いていました。子どもも本当に毎日通えるだろうか。親も仕事との両立が出来るだろうか。家庭の方針として、「子どもにとって最良と思われる環境を、出来る限り与えたい」と考えてはいましたが、現実生活とどの程度摺り合わせていけるのか未知数で、夫婦で決めかねていました。

そんな親の思いを後押しして戴いたのは、入団説明会での矢野学園長からの言葉でした。「生活団は数年前まで、園に集まる日は週に1日だけでした。遠方ならお子さんの様子を見ながら、週に2日でも3日でも、無理のないように通えばいい。」

それまで「幼稚園とは週に5日間通うもの」と思い込んでいた私達にとって、大きな救いとなる言葉でした。―出来るかどうかわからないから、出来るところまでやってみよう―こう思えた事で、願書を出す決心が出来ました。

そして今、入団からおよそ1年半の時間が経ちました。

実際の通園の中で、今いちばん強く感じるのは「あたりまえの事を、徹底的にあたりまえにやる場」ということです。子どもが一個の人間として、健全な社会生活を営んでいく為に必要な基本的生活習慣を、本当に丁寧に学んでいく。その様を見て、しばしば驚き、また感動すら覚える事もありました。独自の教育メソッドは、時に現代社会との違和を感じさせることもありますが、親が「学びの場」にきちんと参加することで、そこに長年の経験に裏付けられた明確な意味がある事が理解できました。美術・音楽教育の内容も素晴らしく、その水準は日本国内でもトップクラスにあると感じています。子ども本来の創造性を健やかに芽吹かせた作品は、他では見ることの出来ないものです。

同時に、一般的な幼稚園との一番大きな違いとして「親のコミットの度合い」が挙げられます。入園してみて感じたのは、この生活団は「ユーザーである児童(保護者)が月謝を払い、その対価として一定の教育サービスを享受する場」ではない―ということです。生活団が長年の経験と蓄積によって準備した学びの「枠組み」に、親子が一緒になって「プレーヤー」として参加する。それによって生まれる「学びの場」こそが、自由学園幼児生活団の教育の本質ではないか―そんな実感を今持っています。子どもは未熟な存在であり、また同時に親も不完全な存在です。そこでの学びは、課題に対する達成度で評価されるものではなく、失敗や悩みも含め、親子が真摯に向き合い、学ぼうとする「方向性」そのものなのではないか。そんなふうに考えるようになりました。

確かに、一般の幼稚園に比べれば親の参加度は大きく、そのため多くの時間を子どものために使うことになります。仕事との両立も簡単ではありません。しかしある時、一番大切な事は「時間を取られるかどうか」ではなく、「子どもの成長のために自らの時間を使うかどうか」ではないか、と気が付きました。それを「負担」と捉えるならばマイナスの要素となりますが、「子どもの成長への機会」と捉えれば、それはわが子への投資であり、前向きな決意となっていくのではないでしょうか。

我が家は昨年、住まいを台東区・浅草に移しました。娘は今も電車を乗り継ぎ、やはり1時間程を掛けて生活団に通っています。入園当初に比べると、見違えるほど体力も付きました。仕事の時間を割いての送迎は決して楽なものではありませんが、それでも娘と二人きり様々なことを話しながら電車に乗る時間は、親子のコミュニュケーションとしても楽しい時間です。

3年間の生活団への通園も、入園から一年半でちょうど折り返し地点を迎えました。

残りの日々を、親子でともに学びつつ楽しみつつ、大切に過ごしていきたいと感じています。